織田信長本陣跡を見てきました

先日、長篠の戦いの織田信長の戦地における本陣跡(愛知県新城市)を見てきました。

長篠の戦いの馬防柵跡、長篠城跡、医王寺(武田勝頼本陣跡)など、長篠の戦いにゆかりのあるいろいろな場所を見てきましたが、織田信長の戦地における本陣跡は、地図上では、見つけることができたのですが、現地では、なかなか見つけることができませんでした。

先日、お客様との会話のなかで、道順を教えていただき、やっとたどり着くことができました。

実際に行って見ると、激戦地からはかなり遠く、また、思いの外標高が高く、遠く渥美半島まで見ることができました。

一方、戦地を直接見ることはできないのではないかと思いました。

徳川家康の本陣跡を見たことがあるのですが、激戦地に近く、

織田信長との力関係が現れているのではないかと思いました。

武田勝頼の戦地の本陣も、戦いの状況を見ることができる位置だと思います。

長篠の戦いでは、織田信長、織田信忠(織田信長の嫡男)、徳川家康、徳川信康(徳川家康の嫡男)、武田勝頼が現地に赴いています。この5名のなかで、徳川信康が、一番先に、織田信長の命により、自害させられています。

また、武田勝頼、織田信長、織田信忠は、同じ年に死亡します。武田勝頼は、織田信長に滅ぼされ、織田信長、

織田信忠は、本能寺の変で死亡します。

歴史に思いを馳せながら、現地を後にしました。

現地に実際に行くことで、多くのことを学ぶことができました。